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「どこにも行けない」を、否定するために生きている

by ほしゆき

あの日からずっと、大声で叫び出すのを我慢している。

ハワイ。ワイキキで借りたシェアハウスの一室で、領事館から届いた帰国を促すメールを眺めながら、手足がひんやりと冷たくなっていくのを感じた。

4月を迎えようとしていたワイキキでは、観光客を追い出すためのデモが行われていて、3月頭に到着した日から考えられないほど街の様子は一変し、ビーチ沿いを一人で歩くのも避けた方がいいくらいに治安が荒れていた。

こういう事態になることも覚悟した上で出国をしたのだから、文句を言える身でもない。

クラクションを鳴らし続けている車が真横に止まり、サングラスをかけた男性たちに呂律の回らない暴言をひたすら吐かれても、ジッと地面を見つめて我慢した。「死ね」って中指めっちゃ立てられた。言われなくても帰るわ!!!!!と思いながらちょっと睨んだ。

アメリカではその時、トイレットペーパーの次に銃が売れていて、ハワイでも銃を取り扱う小売店の前には、早朝から長蛇の列が出来ていた。どうかしている。

緊急事態宣言が発表され、世界中の街が次々にロックダウンしていく最中、あらゆる航空会社がパニックになっていた。中国行きの便が全面運休となり、ヨーロッパやアメリカ行きの飛行機への影響も大きく、予約していたはずの飛行機が急にキャンセルになり、次の予約を取り直すことが出来ない。

たくさんの人たちが空港で戸惑っている様子をSNSやTVで眺めながら、「映画『ターミナル』じゃん…(パスポートが無効になり空港に閉じ込められてしまう男性の物語)」と冷汗をかく。

運行する飛行機が急激に少なくなり、日本行きの航空券は、信じられないほどに高騰していた。

ヨーロッパ発日本着の飛行機は片道50万以上にもなっていたし、高額すぎて帰りのチケットが買えない人が続出。異国にいる日本人全員が、帰るか残るか、今すぐに決断しなければいけない状態だった。

このまま事態が落ち着くのをハワイで待つにしても、ビザが6月までしかない。日本に帰国しなくても良かったけれど、そもそも6月にハワイから出る飛行機があるのかも不明、日本人を受け入れる国があるのかも不明、街の治安は悪化していく一方なのは目に見えていて、留まる選択をするのはリスクが高すぎた。

「帰国しなさい」という旨の文章を読み、私は静かにハワイアン航空のサイトを開き、翌日の日本行きのチケットを購入した。まだハワイ⇆日本間のフライトは4万円弱だったけれど、その次の週のフライトを調べたら片道38万円になっていた。ひえ……

私は好きな国で、好きな仕事で生きていくために、ウェブライターという職業を選んで、フリーランスという働き方を選んだ。

全部全部、海外で暮らすためだった。

ようやく飛び立った直後に、こんなふうに、有無を言わさずそのチャンスが握りつぶされるとは、思いもしなかった。泣くでもなく、悔しがるでもなく、手際よく荷造りを終わらせ、日本の自宅に着くまでは嘘のようにスムーズに事が進んだ。

夢を描いてから出国するまでに、社会人になって、ウェブメディアを学んで、苦しみながら記事を書いて勉強をして、フリーとしてクライアントを持って、資金を貯めて。ここに至るまでに何年もの月日がかかったのに、ワイキキの部屋から、2週間隔離される部屋に行き着くまで20時間もかからなかった。

あの日からずっと、

大声で叫び出すのを我慢している。

14日間の隔離期間中、友人に「仕方がないのはわかってる、でも悔しい。悔しくてどうにかなりそうだ」と吐き出したら、「旅の中間地点に良いも悪いもないよ。生まれた国を経由するだけで、いくらでも先はある」と、一言返信があった。

その言葉を噛み締めながら、布団に顔を埋めて、初めて静かに泣いた。

虚無感を抱きながら、ひとしきり腑抜けたあと、私は「今ここにいる理由をつくるため」に動いた。

ただ次の開国を待つだけの期間にするには、悔しすぎたから。

でも何事もなかったようにひとりで働くエネルギーがどうしてもうまく作れず、「暮荘(くらそう)」というチームランスを作った。

メンバーは全員フリーランス。カメラマンのあやとと、デザイナーのひらりん。そしてサポートに入ってくれたマーケターのかっちゃん。

「不自由な今だからこそ、一緒に何かやろう」と声をかけ、地域おこし協力隊として活動する女の子がつくった商品のブランディングをしたり、企業とコラボして商品の広報を手伝ったりもした。

無性に情けなくて、淋しくなってさ、あまりにも自分の力が不足しているような気がして

だから誰かのそばにいて、

誰かの役に立ちたくなった

『HUNTER×HUNTER(少年ジャンプ)』の4巻で、主人公のゴンがこんな言葉を口にする。

当時の私の感情は、まさにこれだった。手を繋いでくれる仲間がいたことで、感謝される何かをつくりあげられたことで、私はずいぶん救われた。

改めて、ありがとう。

新型コロナウイルスの影響で、夢を奪われてしまった人たちは世界中にいる。

甲子園の中止が発表され、「挑むことさえできなくなるなんて…」と涙をこらえながら取材に応える球児たちを見たときには、本当に本当に胸が痛んだ。

彼らには、この、2020年の夏しかなかったのだ。今年しか、舞台がなかったんだ。

事態が終息して、各国が開国をしてくれればまた挑戦できる、私とは違う。

もっと悔しい人たちがいる、

もっと悲しい人たちがいる。

その事実を日々の報道で痛感しながらも、やっぱり、何をしても、どうしても、私の中の悔しさは小さくならなくて。

個人事業主に向けた給付金がドワっと振り込まれたことも、自粛期間中に散歩していたら子猫を拾って、家族が増えたことも、また友達に会えることも、日本にいるから新しく掴めたチャンスも

帰国してよかったことは、たくさんたくさん、ある。

それでもやっぱり、悔しいものは、悔しいんだ。

「今日本にいるからこそ出来ることを」

「この時間が未来の自分の力になるように」

と思いながら、

恩返しの気持ちも込めて日々動いているけれど

まだ出鼻を挫かれてしまったエネルギーを全力でぶつける矛先が、綺麗には見えていない。

「ただ次の出国日を待っているだけ」と言われれば、そうなってしまっているのかもしれない。

置かれた場所で、心からYESと言える新しいゴールテープを定めることは、容易いことではないのだな。

ハワイを発ってから今日までのことを、こうしてブログにも書けなかったのは、

新しい答えが見つかっていないからでもあり、

当時の感情を言葉にするには、

まだ悔しすぎたからだった。

「無事に帰ってこれてよかった」と声をかけてくれた人に、「帰ってきちゃった(笑)」とヘラリと笑って見せてしまわないと、

その場で泣きだしてしまいそうだった。

もがいている、くすぶっている、

まだ、私は情けないままだ。

悔しさとは、この先も共存していくしかないのだ、と思えたのはつい最近だった。

「帰ってきた後も迎え入れてくれた編集部の皆さんに、まず恩返しをしなければ」という思いで仕事をしているうちに、心に体力がついたのだと思う。

自粛期間中でも仕事ができたことには、

感謝してもしきれない。

目の前の仕事に、粛々と挑もう。

きっと立ち直ってもいないし、国内での新たな目標もこれといって見つかってはいないのだけど、

考えながら進んでいくしかない、ないものを、

「どうしてないの」と嘆いている時間はない。

そんな感じで、私は今日を生きています。

いつも私のそばにいてくれるみなさん、

こうして文章を読んでくれるみなさん、

一緒に仕事をしてくれるみなさん、

本当に、ありがとう。

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