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強くて優しい人には いつも「強敵」がいる

by ほしゆき

退屈は諦めの代償だな、と、つくづく思う。

年齢や置かれている環境に関わらず、人(もちろん私もあなたも)が対峙している問題は、きっと多くが「途方も無いこと」だ。

こんなに働いているのに、

どうして給料が上がらないんだろう。

こんなに社員のモチベーションが低いのに、

どうして会社は何もしないんだろう。

悔しさとか不満とかやるせなさを自分でうまく消化できなくて、友達とお酒を飲んだり、恋人に癒されたりしながら、上手にソレと付き合っていく。

本気で何かを変えようとしたり、

本気で0から1を作り出そうとすると、

「途方も無いもの」と真正面から向き合わなくてはいけなくなる。

世界から貧困がなくならないとか

若者が選挙に行かないとか

そんなふうに主語を大きくしなくても

自分と密接な組織や人や仕事のなかに、

「途方も無いこと」は余裕でゴロゴロと転がっている。

会社の給与形態を変えよう!と立ち上がった瞬間、解決しなきゃいけない課題は数えきれない。

その状況に自分が陥ることを、誰もがわかっている。

だから上手に、目を逸らせるようになるのだ。

愚痴を吐いてやり過ごしていれば、敵を増やすこともない。

生活のなかで触れるすべての不条理と戦うべきだなんて思わないし、そんなのは可能に近い。

だけど、眩しく見える人はいつだって、自分より圧倒的に「戦っている回数」が多いよなぁ、と思うのだ。

諦めない人の人生に、退屈はこない。

「やりたいことが見つからない人は、行動に起こす回数が足りていないだけ」という話がよくあるけれど、行動する人には、行動している間にまたワクワクがやってくるものだ。

それと同じで、戦い始めた人には、戦いが無数にやってくる。

だからたくさんの、「諦めなくてよかった」という人生の歓びを得ることができる。そして更に、「諦めたくない」という思いが増していくのだろう。

退屈を感じるときは「諦めすぎている」というサインで、その退屈を受け入れるたびに、人生がつまらなくなる。

この文章を書きながらずっと思い浮かべていた、私にとっての「圧倒的に諦めない大人」は、吉田勇佑さんだ。

諦めない人は、いつでもまっすぐで、強くて、優しくて、あたたかい。

人生を楽しくしたいなら、戦うしかないんだ。誰でも。退屈に耐えられるほど、きっと人生は短くないし。

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