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だれかの人生をなぞるということ

by ほしゆき

IWAI OMOTESANDOに、はじめて足を運んだ。

入り口までの参道をしずかに歩いて、咲さんと森さんの声を聞きながら、ひとつも取りこぼさないように、と、奥へ奥へすすんでいく。

セレブレーションホールの真んなかで、しずかに咲き誇る桜たちと目が合う。呼ばれるように近づいて、触れようと手をのばして止めた。

やわらかなグレーのなかで、ひとつひとつ星のように咲く姿は、この空間に存在するなによりも高尚な存在で、わたしの心のなかに「言葉を、のこしたい」という欲求を、くゆらせた。

桜にいちばん近い席に腰をおろして、背筋をすっとのばす。わたし以外、だれもいないセレブレーションホールで、だれのことを祝うわけでもなく、じっと、散りはじめそうな花びらを見つめる。

海にいるみたいだと思った。

しずかに押し寄せては遠のいていく波をただ眺めているとき、唯一、わたしはわたしの心を独り占めすることができた。

街を歩けばイヤホンをしなくても、どこかしらか音楽が流れてきて、誰かの息づかいがすぐとなりにある。今日の仕事のこと、明日の予定のこと、誰かへの心配、なにかへの不安。いろんなところに毎日、心は散らばって体からはなれていく。そして知らないうちにどこかへ、消えてしまうこともある。

波を眺めている時間は、心を迎えにいく唯一無二の時間だった。だから海が好きなのだ。満帆になるまでじっと佇んで、ああまた随分と、知らないあいだに失っていたのだと反省する時間でもあった。

結婚式を、挙げる予定もない。

大切なだれかの幸福を、祝いに来たわけでもない。

それなのにわたしは、たくさんの人たちが愛を誓った空間を独占していた。

言葉を残したいと思いながら、湧きあがってくる感情に言葉を当てはめることはできなくて。こんな空間を、体感したのは人生ではじめてのことだった。

砂浜にいるときのように、ぽつりぽつりと心に光がもどってくる。

海という場所以外で、この感覚を味わうこともはじめてだった。

自分のなかにある大事なものが、浮き彫りになってくる。

セレブレーションホールは、自分のなかにある今いちばん大事にしたいものを浮き彫りにして、その愛おしさを抱きしめさせてくれる。

きっとだれにとっても、そういう空間なのではないかと思う。

母を想うひともいるだろうし、恋人を想うひともいるだろう。

わたしが思い浮かべたものといえば、真っ白な原稿用紙だった。

どこまでも仕事脳か、と、笑われてしまうかもしれないけれど

泣きたくなるほど抱きしめたのは、「文章を書きたい」という気持ちだったのだ。

IWAI OMOTESANDO という空間は、訪れる誰かのことを、どこまでもていねいに、どこまでもたいせつに想って創られていた。

その気持ちに、一瞬のほつれも存在していなかった。

誰かの人生を、たどりなおして、なぞって、かたちにするということへの覚悟と、敬意であふれていた。

わたしは毎日、だれかのストーリーを、感情を、インタビューして言葉におとして、かたちをつくって、だれかに届けている。

心がきゅうっと、ひきしまる音がした。

たとえ断片的であったとしても、だれかの生身の、生きてきた道を言葉でなぞるということへの覚悟を、問われていた。

感動するとか心が震えるとか、手垢のついた言葉で、この感情を表すのはまっぴらだ。

言葉はみつからないけど忘れたくなくて、真空パックしたくて、いま記事を書いている。

満帆になって、抑えきれなくて、あふれた心をぎゅっとからだに閉じ込めたのは、久しぶりのことだった。

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