LOG IN

テンションでどうにか出来る程、僕らの恋愛感情は単純じゃない

by ほしゆき

電車に揺られながら、靴の先が汚れたブーツを履く女子大生と、シルバーのネックレスを首から下げた男子大生が並んでいる姿を、背景のように眺めていた。

今日は「家族心理学」の授業を3時間受けるためだけに片道1時間の道のりを行く。

見ているようで見ていないようなそぶりをしながら、恐らく年下の、たわいもない大学生の会話をぼんやり聞いてきた。

「束縛する男とか、ほんと無理。」

「あー、そくばっきーね。でも、すぐ会いたいとか言ってくる女の方が無理じゃね?」

おそらく彼らは恋人ではない。

「連絡を取りたがる頻度は同じくらいの人と付き合いたいよね。」

「それなー。」

おそらくこの2人には恋人がいない。

「あと、家事できる女の子と付き合いたい。」

「将来的に有望だから?(笑)」

「そう。俺部屋の掃除とか苦手なんだよね。」

窓の外を流れる川を見ながら

「カップル及び、カップルの延長線上の夫婦関係において、人は特殊な成長、変化の過程を経験する」と研究した人達のことを思い出した。

ディムとグレンの話だ。

彼らは、特別な愛情関係における男女2人は、どのカップルも同様に、3つのステージを辿っていると提唱した。

第1ステージは

【拡大・保証の時期】

自分にはないものをお互いに持ち、想いを重ね合うことで、一人きりでは出来なかったことが出来るようになったり、違うものを持つ恋人がいることを、自分の自信に出来る時期のこと。

第2ステージは

【縮小・背信の時期】

初めて第2ステージを経験するカップルは、恋人が出来た!!という人生に対するハイテンションの維持が、この辺りで低下してきます。

違う人間同士が付き合うということは、「違いを尊重し合うこと」がマストですが、この時期はそれが難しくなり、むしろ違いが疎ましい。話し合いがスムーズに進まない、思考回路が違うことなどに、面倒臭さや、イライラが募ります。

そして第3ステージは

【和解の時期】

ここでは苛立ちや疎ましさを手放し、違いを相手の個性として冷静に受け止められるようになります。

例えば、何度言っても寝癖を直し切ってこない恋人とか、何度言ってもトイレのドアを少し開けておく旦那とか

そういうものをいちいち注意して、イライラするのではなく

「この人も子供なんだなぁ。可愛いものだなぁ。」と、もはや諦めのような、それも含めて、その人なのだなと思えるようになるのがこのステージ。

ディムとグレンの提唱が面白いのは

「カップルでいる限り、夫婦でいる限り、この3つのステージを、永遠に繰り返し続けるのだ」と言っていること。

死ぬほど、面倒臭いことだ。

和解したらまた尊敬し、尊敬したら逆に疎ましくなり、またそれを、受け入れられるようになる。

話は電車の男女の会話に戻るが、「家事の出来る女の子がよい」や、「連絡頻度の感覚が同じ人がいい」などという

“条件”を相手に提示し続けて恋愛関係を望み続ける限り、第3ステージに到達できるカップルになることは極めて難しい。

付き合う、ということは

「共に生きる」ということであると、私は勝手に思っている。

癒しだけを求めたり、頭の良さだけを求めたり、自分の今の生活において足りないものだけを、心地よく埋めてくれるようなものでは到底ない。

人と人とが付き合うということは

そんな気持ち良いものよりも、遥かに面倒臭く、人間臭く、労力を要するものだ。

趣味も思考も連絡頻度もセンスも違くたって

「新しい2人の価値観や、距離感」を、1つ1つ、新たに作り上げながら人は付き合いを深めていく。

条件や、要求を相手に提示する限り

相手からも、条件や要求を提示され続ける。

その現状を「恋人が出来た」「恋人が可愛い」という、一時的な“テンション”で乗り越え続けられるほど、人間は単純ではない。

人は誰しも、どうしようもなく、面倒臭い。そんな一面を持っている。

「面倒臭い」と第2ステージで別れ続ける人は、第2ステージに差し掛かった時期にどの人と付き合っても別れるようになる。

それは、相手が「面倒臭い」のが問題ではない。

繰り返し言うけれども

面倒臭くない恋愛関係など存在しない。

何度関係を断ち切ろうと、そのサイクルが第3ステージに到達することはない。

誰かを変えたいと思うのであれば

誰かに要求するのであれば

まずは自分を変えなくてはいけない。

恋愛は頭脳でするものではない、ということには同感だが、恋愛は勉強し、経験し、反省しなくてはいけないことである。

この世の中はPDCAだらけなのだ。

英語を喋れるようになるためには、座学で文法を学び、リスニングで耳を慣れさせ、口に出して会話をする必要がある。

「恋愛だけは感性でどうにかなる」なんて解釈の信憑性がどこにあるのだろうか。

恋愛は学ばなくてはいけないことだ。座学を経て、経験をする。漢字ドリルの宿題をするのを面倒臭がった子供の時のように

恋愛をするのは面倒臭いことで、お花畑が漫画のように散らばっているわけではない。

それでも人は誰かを好きになるし

誰かを愛して弱くなるし、強くなる。

「君の名は。」のように時に人は、好きな人の名前すら忘れてしまうような経験を経て

また次の恋愛に出会う。

それが人間“らしい”ところで、どうしようもない苦悩も含めて、愛らしくて、儚くて、とてつもなく愛おしいのだと思う。

恋愛はとてつもなく面倒臭いかもしれない。でも、“幸せは、分かち合うことで倍増する”ということをひたすらに教えてくれる。

その喜びは、面倒臭さなど遥かに凌駕する。

「誰かへの愛情を出し惜しみすることは、人類史上、最も時間の無駄です。」

教室に響き渡った、あの日の教授の言葉を思い出す。

やがて3時間の授業を求めて乗り込んだ武蔵野線は、舞浜駅に到着し、通過する。

恋人の聖地であるディズニーランドは、今日も幸福の主張で賑わっていた。

OTHER SNAPS