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骨になってまで、「そばにいる」という愛を。

by ほしゆき

私が9歳の頃から一緒に過ごしてきた、愛犬のベルがなくなった。

ラブラドールレトリバーにしては随分長生きで、16歳。大きな病気をすることもなく、老衰で、急に体調が悪くなってから最期までは、たったの1週間だった。

前に、「大事にするの究極はどこ」という記事を書いたけれど

どんなに大事にしてきたとしても、

最期の別れに「もう大事にし尽くした」「愛し尽くした」

1秒の漏れもなく愛情を注ぎつづけた、なんて

言える人がいるのだろうか。

最後の呼吸をする瞬間を見た。

苦しそうに酸素を欲する姿は痛々しくて、

心臓が止まる瞬間見開いた目は「まだ生きたい」と言っているようだった。

家の外まで響き渡るほど、大きな声で泣いた。

目の前で生きようと最後の力を振り絞る家族を、救うことはできなくて

「愛してるよ、ありがとう、ありがとう」と

心臓が止まっても伝えつづけて

命が尽きるあの瞬間のベルの顔を、私は一生忘れないと思う。

この家に来て、幸せだったかどうかなんて聞くことは出来ないし

本当のところはわからない

愛情は、毎日の積み重ねだ。

なんでもない日常に本質がある。

2人きりで散歩をしている時、

「私がずっと一緒にいるよ」とよく声をかけていた。

ベルは私に全然かわいこぶらないから「鬱陶しいな」くらいの表情で見ていたけど、

フリーランスになると決めた2つの理由のうち、1つはこの約束のためだった。

大事な人は、大事にできるときに、大事にしなければ意味がない。

そして今日、最期の日を迎えた。

頭が良くて心の優しいベルのことだから

私が後悔しないように、約束を守らせてくれたような気がしている。

こんな時まで気を遣わせたのかもしれないね、ごめんね。

旅行に連れて行ったり、美味しいものを食べさせたり、

今までいろんなことをしてきたけれど

「そばにいる」ということは、最も簡単で、

最後の最後、心臓が止まるその時まで出来る唯一の愛情表現だと知る。

そしてあなたが一日も絶やさず、私に与えつづけてくれたものだね。

誰よりも毎日手を抜かずに家族を愛してきたのは、きっとベルだ。

16年間一緒に過ごしてきた時間は、長すぎて、失うには大きすぎて、

どうやって理解すればいいのかわからなくて、ただ、

死んでいる顔まで可愛いくてたまらないベルを見つめて泣く。

25歳の誕生日に、この子を火葬する。

最初から最後まで、あなたが私に与えてくれるものは愛の塊みたいなもの。

誕生日に骨を贈った理由を抱いて、私はベルの居ない明日を、これからも生きていく。

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