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君が思うほど、世界は君に興味がない

by ほしゆき

何かを決断するために悩んでいる時、いろんな人が、いろんな言葉をかけてくる。

自分のことを本気で思ってくれている人からだったり、そうでなかったり。

決断に至るまでの思考の仕方の正しさを求めて、本を読んでみたり、成功者と呼ばれる人の記事を読み漁ってみたりしたところで、「流されるな」「流された方がいい」「迷うならやめておけ」「迷ったら進め」ありとあらゆる主張に余計、立ち往生させられたりして。

例えば会社から全力で引き止められたとして、自分自身も、ここでやめたら色んな人に迷惑が…とか、考えることもあると思うけれど

辞めたら辞めたで、会社はその穴をどうにかする方法を見つけるし、さらに成長していくために前へ進んでいく。それが会社という組織の圧倒的に強いところであり、寂しいところでもある。

ちょっと乱暴な言い方だけれど、結局みんな、好き勝手にアドバイスやら誘導やらをしてくれるので、“何を信じたらいいかわからない”なんて悩むことは、不毛すぎて無駄すぎて悲しすぎる。

誰かの何かを信じて決断をしたところで、社会は自分が思うほど『決断した自分』に興味を持っていない。

当然、決断した自分を手厚くサポートして「もう大丈夫安心ですよこちらへどうぞ〜」なんて人生の指標をくれるわけでもない。助けてくれるのはいつも、誰にも身を委ねなかった自分だ。

会社を退職したから急に何かをできる自分になるわけでもないし、転職をしたから急激に期待されるなんてこともない。『決断の勇気』なんて評価されるのは、迷って決断をできない人からだけ。

社会から見られていることは

どこにいても何をしていても同じで、たった1つだけ

「で、君、何ができるの?」

この質問に対する実力。

自分が自分の世界を、自分のものさしで見ようと頑張ったりもがいたり悩んだりする時間が、無駄だなんて1ミリも思わないけれど、それならば上手くやろうなんて考えずに、誰かのヒントなんて安易に求めずに、最初から最後まで、ただ自分自身のためだけに模索し続けて、答えを見つけたり、「あれ、てかこの時間無駄じゃない?」って気付いたりした方がいい。

マイナスな意味ではなくて、そんな風に悩んでいる自分を、「恥ずかしいやつだな」とか思うほど、興味関心は持たれていないのだから、盛大に好き勝手やればいいのだ。

答えを見つけられない人に対して、別に誰も注目していない。

それは絶望でも希望でもなくて、ただの事実でしかないのだけれど、その事実が、“自由”の余白を心につくってくれることって、結構あると思う。

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