LOG IN

目が覚めると、なぜか泣いている。そんなことが、時々ある。

by ほしゆき

「君の名は。」

この映画は、切ない。

こんなにも大ヒットした理由について、様々な切り口からの見解がこれでもか!と記事にされているのをよく読んでいた。

普段は映画の解釈や秘話の検索なんてかけない人でも、この映画に関しては調べた人も多いんじゃないだろうか。

普段はいくら気に入った映画であっても、またお金をかけて同じ映画を観に行ったりしない人でも、この映画は2回以上観てしまったというひとも多いんじゃないだろうか。

私のように。

私もこの映画が好きだ。

けれど、2回観に行くことはないだろうなと思っていた。(今日誘われて思わず観に行ってしまったわけですが。笑)

1回観たときに、すぐブログを書こうと思ったのだけど

なんだか自分のなかでも釈然としないところがあって、無理に書き上げようと思っても張りぼてになりそうだから

途中のまま下書きに入れっぱなしにしていた。

書くなら自分の言葉と思いで書ききれるまで書きたくなかった。

2回目を観ることはないと思っていたけれど、私は「君の名は。」に関する記事は見つけるたびに読んでいたし、新海誠さんの出る番組もくまなく見ていた。

「大好き!!最高!!!」と思っていたわけでもなく、RADの熱烈なファンなわけでもないけれど

あの映画には、不思議な力がある。

素直にそれだけは、漠然としていたけれどとても思っていた。

そして、それがなんなのか

知りたかった。ハッキリさせたかった。

この映画が終わった後に残る妙なモヤモヤは一体なんなのか。

その「不思議な力」は、

決して不快なものでもなく、だけど確実に、実態が目に見えるかのような

とてもリアルなものだ。

それはこの映画の、一番最初に語られる

「朝、目が覚めると、なぜか泣いている。そういうことが、時々ある。」

「見ていたはずの夢は、いつも思い出せない。」

「ただ、何かが消えてしまったという感覚だけが、目覚めてからも、長く、残る。」

「ずっと、何かを、誰かを、探している。」

この映画が心に残していくものは

まさに冒頭のこの言葉たちが表している。

2回目を観た人は冒頭で涙が出るとよく言うけれど、それは初回が心に残していったものを

冒頭でこんなにもあまりに形になりすぎたセリフで刺されるからではないだろうか。

だから冒頭で自然に涙が出るんじゃないだろうか。

この映画が心を掴む理由なんて山ほどある。

アニメに詳しくなくたってあの絵の綺麗さが尋常じゃないことなんて視界に入った瞬間にわかるし、それだけで心は躍る。

瀧くんと三葉のビジュアルだってそうだ。瀧くんは素直に格好良くて声は神木隆之介。不器用で、喧嘩弱いくせに気に食わないことはハッキリ気に食わねえと喧嘩したり、そのくせ照れた時に顔を背ける姿は可愛いし。

奥寺先輩とのデート中に満員のエレベーターでプルプルしながらも壁側の先輩を守っていたり........

なに?!?!きゃーーーーーーーーーーーー!!!!だよ!!!!!!!!!

胸キュンだよ!!!!!!!!!!!女子の心掴むよ!!!!!!!!!!

とまぁ、掴みどころなど挙げたらきりがないですが、それらはあくまで物語に引き込む掴みでしかなくて

なにがこんなにも反響を生んだのかというと

それは「切なさの共感」なんだと私は思う。

この映画は起承転結ではなく、序破急の1:2:1の構成がかなり正確に利用されていて、そのスピード感が心地よい。会えるのか会えないのか最高にハラハラさせた後に、二人が出会えたことで見てる人の心に幸福感と満足感を与える。

でもこの映画は、どこか、なにか、切ない。

きっと

まだ出会っていない、どこかのだれか「運命の人」に、会いたいという気持ちを

そんな人に、今の自分はまだ出会っていないという気持ちを

そんな人を、探しに行きたくなる衝動みたいなものを

みんな、心のどこかに持っている。

本当は心のど真ん中に置いておきたい「大好きなこと」や「愛しているもの」や、求めている人や、こと。

『それ』が今この手の中にあるだろうか?そんな問いと

『それ』がいま、ここにない。という切なさ。

「なにかを探している。」

これは、瀧と三葉だけの言葉ではない。

私たちは、何かを探して生きている。

それがわからない苦しさや、それが見つからないもどかしさや、それが今ここにないという現実の悲しさを

この映画は心の隙間から引っ張り出してきて

引っ張り出してきたわりには

「人によって答えは様々だ」とでも言うかのように

ぼんやりその輪郭だけ

私達に気付かせるように残していく。

何かが消えてしまった感覚や

何か大切なものを忘れてしまった感覚を

観ている人自身の心に残していくのだ。

そしてそれは「切なさ」という感情の味になる。

だからこの映画が映す「切なさ」はこんなにも共感を生むし、リアルというより、本物なんだろう。感情の具象化をされてしまう。

自分が失ったものが何か

まだ出会っていないものは何か

忘れてしまったものは何か

知りたいと思うから

多くの人はこの映画にどんな側面があるのか検索するし

もう一度観に行ったりする。

探しているのは、知りたいのは

「この映画について」ではなくて

自分自身の、心の中にあるものかもしれない。

OTHER SNAPS