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「大事にする」の究極は、どこ。

by ほしゆき

後悔せずに生きれたら、どれだけ自分を好きになれるだろうか

「後悔しない毎日を」なんてお決まりのセリフだけれど、

後悔しない毎日ばかりを積み上げられるわけではない。

あのとき、こうしていればよかった

あのとき、こうしなければよかった

どれだけ避けようと努力しても後悔してしまうときがある。

そのなかでも

「もっと大切にしてあげられれば良かった」

という後悔は、ものすごく、苦しい。

大事な人を、大事にして生きる

誰だって365日そうやって生きていたい。

だけど時には

心無い言葉を言ってしまったり

傷付けると知りながら、傷付けてしまったりする

それは「わかってくれるはずだ」と甘えているからだ。

本心からの言葉じゃないことを。

本当は当たり前に大事に思っているけれど

今日はたまたま、そんな余裕がなかったことを。

この先もそばにいることを前提に信じていて

その前提の上で、ただ、甘えているだけだ。

そんな人がある日、自分の前から居なくなる。

命を落とすことだけではない。

この先も自分の先輩でいてくれると思った人がある日急に異動になってしまったり

この先もそばにいてくれるはずだった親友が遠くに行ってしまったり

連れ添っていくつもりだった恋人と別れてしまったり

元気に叱ってくれるはずだった人が、もう叱らないくらいの病気になってしまったり

そんなことが人生にはある。

そして思う

大事な人は

大事にできるうちに

大事にしなければ意味がない

と。

どれだけ常に大事に思って生きていたとしても、そんな別れが急に舞い込んだ時

「一片の悔いもなく大事にし尽くした。」と、言えるだろうか。

別れを想定して、いつかを理解した上で、その時の限界で大事にしていたとしても

失っていない頃の自分の思う限界など、そもそも甘くて

本当に失った時に心を埋められる「限界」の質量には達しなかったりする。

「もっと大切にしてあげられたら」という後悔は、酷く自分を苦しめる。

今目の前にいる大事な人を、蔑ろにするということは

結局自分の元へ、一番強い痛みで返ってくる。

その痛みを学んでも、

1ミリも溢れ落とさず永遠に大切にし続けることが、やっぱりできなくて。

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