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「愛してくれ。」

by ほしゆき

Mr.Childrenの最高傑作とも呼ばれる15枚目のシングル「終わりなき旅」をご存知だろうか。

1998年10月21日リリース。

光栄にも、わたしの五歳の誕生日にこの曲は世に名を轟かせた。

この曲と同じ誕生日であることを運命に思う私である。

大きな声で 声をからして

愛されたいと歌ってるんだよ

「ガキじゃあるまいし」自分に言い聞かすけど

この名曲には、こんなフレーズがある。

このフレーズを聴くたびにわたしは、良い大人が「愛してくれ」と叫んでいる姿を思い出す。

「愛してほしい」という想いは

いつも優しく、綺麗なもので表現されるわけではない。

この曲を

眠っていたら歌詞が浮かんできて、それを起きて書きとって、また眠ったら続きの歌詞が浮かんできて、それを起きて書きとっての繰り返しで作った。

と語る天才、桜井和寿という人間のように

「愛されたい」と誰もが優しく歌えるわけではない。

わたしの父親は「愛してくれ」を

攻撃することで表現する。

こうして見ると、表現方法としては最低かもしれない(笑)

殴ったり蹴ったりするわけではない。

それは八つ当たりだったり

言葉の暴力である。

「お前なんか学生の分際で!!」

これは最もわたしが不快に思うフレーズ。

家族であるが故にわざわざ深く考えなくても

お互いにとって何が1番不快に思う攻撃的な言葉になるかは、感覚的に理解していて

わざわざそれを選んでぶつけて来たりする。

全く皮肉な感覚的理解である。

そんなことを彼は

自覚しているのかいないのかは分からない。恐らく思考せずに言葉を発しているため、自覚していないと思う。

長い間、わたしはひたすらに

父親という存在を嫌悪していた。

物心ついた頃からそれは始まっていて

昔から彼は人に暴言を吐くことで鬱憤を晴らしていた。

いや、そうやって

「鬱憤を晴らしているのだ」と

わたしは解釈していた。

けれど違う

「学生の分際で!!」なんて暴言を吐くことで、彼が1番傷つけているのは私ではない。

彼自身なんだ。

暴言を吐くことで家族は遠去かり嫌悪する

家族として一緒に住んでいるのに

家族のために働いているのに

そんな自分を続けていると

存在に期待されなくなっていく。

血が繋がっていれば無条件に家族である

という事実は変わらないけれど

血が繋がっていれば

無条件に家族から愛されるわけではない。

家族である以上

家族という組織の中にも何らかの価値提供を求められている。

こんな風に書くと凄く機械的で冷たい繋がりに感じてしまうかもしれないけれど

家族は「家族という繋がりを愛情で保っていくため」に

お互いに何かを渡し合う行為が必要なんだ。

赤ちゃんだって愛されるためにあんなにも可愛い姿で自分を必要とし、すくすくと育つ成長過程を見せてくれる。

自覚のありなしに関わらず

家族は何かを渡し合っていなければ崩れてしまう。

それを「期待されない存在になる」ということは、家族として存在を認められていない場所に置かれる感覚になるのだと思う。

そんな孤独の中で生まれる感情を「攻撃する」という行為で晴らそうとする。

そしてまた寂しくなる

その寂しさによってまた、人を傷つけようとする。

「馬鹿だね。」って

そんな一言をきっと、1人で待ち続けていたんだろう。

それが見えなかったり

分かっていても、知らないフリをしたり

それでも、許せなかったりする。

血の繋がった家族を傷付けて

幸福になる人など存在しないのに

なぜこの人はこんなにも安易に

人の想いを踏みにじるような言葉を吐くのか

そう思って

「どうしたの。私にどうしてほしいの。

わたしに何を伝えたいの。」

と聞いてみたら

何でか口に出して聞いてみた瞬間に

「なんだよ!」

と威嚇的に吐き出されたセリフが

「愛してくれ!!」

と私には聞こえた。

ああ、この人はずーっとこうして

1人で

「愛してくれ。」と叫んでいたのだ。

子供みたいに1人で寂しい想いを

ずーっと素直に伝えられなかったのだ。

あぁ、馬鹿だなぁ。

どうしたら変わってくれるのか

わたしも1人で考えていた

長い間

仲が壊滅的な家族なわけでもないのに

こんなに簡単に傷付けられて

嫌悪して

離れようとしてしまう家族は

どうしたら改心できるのか

「愛してるよ?」

と呟いてみた。

1人で怒っている彼に

そんな一言を呟いた瞬間に

こんな簡単なことだったのかと笑ってしまう。

人が心を改めようと素直に思えるのは

責められたり、罰を与えられたりすることではなく

「なんで改心出来ないの?」「何が嫌なの?」と聞かれたりすることでもない

「愛している」という気持ちがそこにあるということを、自分で理解した時だ。

愛があるから怒っているし

愛があるから伝えているのだと。

攻撃的な感情で改心しろと強制された時ではない。

そんな簡単で単純なことが分からずに

家族であるが故にいつまで経っても堂々巡りして、傷付けあったりしてしまう。それは、家族だから。

近すぎると、近すぎるが故に疎かになることがある。

「家族」は全員で1つとして成り立っていて、どこかに負があれば

それは必ず家族としての負になる。

攻撃し続ける相手の存在をシカトしたところで、じゃあ残った人たちで幸せな家族になることだって不可能で

攻撃し続けるひとも

嫌悪し続けるひとも

結局は不幸だ。切り離された幸せなんて成立しない。それが家族という生き物だ。

嫌わないでほしい、と

寂しいと、叫んでしまう家族の声を

家族が聞いてあげなければ

ほかに誰が救えるだろう。

可愛いものだ。

愛されたくて叫んでしまうなんて。

それを可愛い、と思い合えるのが

きっと家族という組織の最強なところだ。

嫌いな時もあるし

傷付けられる時もある

帰って来なきゃいーのに!!!って

思ってしまう日もある

毎日大好きで毎日仲良しだったらそれに越したことはないけれど

なかなかうまくいかない時もある

けれど、そんな日も

7割の嫌いを表現してるより

3割の好きを表現していた方がよっぽど良い。

3割だけでもいい

1割だけでもいい

その時の渡せる愛情を、渡してあげられれば良い。

そんな大げさなことじゃなくて

一言で良いんだ

「ありがとう」だけでも良い

お風呂を沸かしてあげるだけでも良い

嫌ったところで

良いことは何1つ作用しないから

もう諦めて、渋々でも手をとりあえば良い。

家族は、愛情によって成長していく生き物だから。

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